社会コラム 秋田小1男児殺害事件及び女児殺害について

皆さんは虚言癖という言葉を知っていますよね。読んで字の如く嘘をつく癖です。これは虚栄心や強烈な自尊心からの衝動で、つまり自分の生い立ちやその生き様が人に自慢できる事が出来ない故、自分を大きく見せる為の自己防御、もしくは人に注目されたい一心の行動です。程度はまちまちですが、病的に嘘をつきその嘘を自分自身に現実のものとして考えてしまう人が多々いるそうです。


容疑者、畠山鈴香は当初冤罪かとも思われていましたが、前日の報道で欄干から足を持ちあげて落としたという供述を自白したとの事。その動機は「疎ましかった」というものだが、新しい交際相手との生活に娘が邪魔だったというのが目下の推測です。
さて、彼女の生い立ちや諸々の事情などはマスコミで痛い程報道されていますが、動機などの実質的な真実は未だ闇の中。彼女の供述には矛盾が多く、それが更に捜査を難航させているらしいのです。
学生の頃からいじめにあい、卒業文集などでも散々なことを書かれ、彼女にとってのその時代は苦痛の毎日であり、多分現在までに至り同じような状態だと推測されます。
先にも書いたと思いますが、虚言癖と言うのはある種自己防御の特異な方法であり、それは周りとの軋轢から生じるケースが多いと思われます。彼女もその容姿から、もしくは何かの癖か言動かは分かりませんがいじめにあい、自己防御の為に学生時代にもよく嘘をついていたとの事です。
嘘をついたからいじめにあい孤立したのか、それとも何らかの理由でいじめにあい孤立し虚言癖を身につけたのか。どうも前者のような報道が多いようですが実際にはこれもよく分かりません。
今回の事件は正直マスコミも果ては警察発表や本人の自供ですら信用できる情報は何一つありません。警察は犯人を早く立証したいが為に冤罪に仕立て上げる可能性がありますし、マスコミに至っては情報の半分しか信用に足るものがありません。そしてその情報源となる中心人物が虚言癖の容疑者なのですから。


いじめについて。
私もいじめにあっていましたが、自分的にいじめとは言いたくない。からかわれていたと表現しましょう。中学生の頃と高校生の頃に三回くらいありましたか。でもそれの各々はただ屈するだけでは駄目だと思い、殴りかかったことが多々ありました。ジャンプキックもお見舞いしてやったっけ。当時の先生は「よくやったな」と誉めてくれたような。
屋上でとことんやろうぜ!と二人掛かりに言われたけど、快く喧嘩に応じたら逃げていった奴等もいたっけ。彼等どうしているだろうか。あ、そういや片方亡くなっていたような。よく絡んできた奴だったが今現在では恨む気持ちは毛頭無い。それどころか自分の障害になってくれて有難うと言いたい。T君、ご冥福をお祈りします。
いじめというものはあった者にしか分からない心理があります。幼少期や思春期にその障害に遭うと、それを克服するかどうかは本人次第になってきます。
畠山容疑者はどうだったのでしょう。女性のいじめと言うのはかなり心理的なダメージだと聞きます。男性は身体的なダメージが主だから結構単純なのですがね。彼女は男性からもいじめに遭っていたらしいから心理・身体でダメージがあったと推測されます。


虚言癖について。
大学時代に後輩でそういう者がいました。嘘かどうか正直分からないものから、明らかにこれは嘘だろうというものまで、人を混乱させる言動が目立った人でした。
《自分の祖先は藩主から一目おかれていた中心的人物で、この城の石垣は自分の祖先が建てたものだ。今現在でもこの県へ強力な発言権があり、自分に何かあったら黒服を着たおじさん達が大挙して来るから気をつけたほうがいい。更に自分には大阪に名家の許婚がいる》
まあこれくらいなら可愛いものでしたが、その発言は段々エスカレートしていきました。
《実は東京でアーチストのプロデューサーをやっていて、このCDは自分も制作に関わっている。自分は末期の癌患者だから後数ヶ月しかこの学校にいられない》
いやいや、末期の癌患者はそんな生き生きしてないぞ。
明らかにそれは嘘だろうという事を平然と言ってのけるのは虚言癖特有の悪癖で、それこそ演技は大仰に、そして内容は自分に注目されなければいけないものが多くを占めます。
目立ち、そして自分を防御する言動。しかし、彼等の多くはその嘘のせいで孤立を深めていく。病的な域に達するとその嘘が自分のステータスになり、本当の自身の過去を見失い、解離性同一障害、つまり多重人格障害も引き起こしかねない状態になると思われます。
畠山容疑者の精神鑑定は未だ行なわれていませんが、実質その兆候は顕著で、検察や警察も精神鑑定が行なわれる前に彼女自身の供述で立件したいという焦りが見え隠れしているようなしていないような。
以前書いた母子殺害事件では、犯人から友人への手紙にて冤罪の可能性は完全に否定されました。自分が殺ったが死刑になる心配は無い。数年で出られると思う、等と被害者家族のはらわたが煮えくり返るような内容でした。ここまで単純に自身の言及で犯罪が証明されていたら物事はとても簡単なのですが、今回のこの事件はまだまだ根が深そうです。しかし、彼女自身の確定した罪は子供をないがしろにしたと言うことに尽きる、と考えます。それだけは事実であり、時たま可愛がることはあってもその存在は疎ましい、遠ざけたい、邪魔だったと言えるのでしょう。
何にせよ、事実が判明するのは極めて困難であると思われます。でも、もし欄干から落とされた時に彩香ちゃんの最後に見た者が母親だったら。振り向いたら自分の首を力強く絞める者が幼馴染の母親だったら。信頼すべき、頼るべき人間が本当に信頼できなくなっていきます。隣人が信用できなくなります。マスコミはノイローゼのように容疑者の凶行を誇張し、人々に悪影響を与えていきます。逆の意味で言えばまるで隣人を信用せずに、自分以外は全て敵だとも取れるような報道の仕方をする。視聴率が取れれば何をしても良いとも思えるメディアスクラムもそうです。
こんな世の中で、私達はどのようにして弱き者、子供達を守ればいいのでしょうか?


余談。
私もそういえば自分を防御する為によく嘘をついていたと思います。兄弟からよくうそつきだと罵られていましたっけ。最近はそんなに嘘はつかなくなりました。かなり嘘をつく方だったのですが、いつからでしょうか。多分大学時代で親元から離れて一人暮らしした頃からだと思います。あの時、嘘をついても何の得にもならないと考えたのでしょうか。どちらかと言えば嘘をつくことによって人の信頼を失いたくないと思っていたのでしょう。
今現在では嘘はつきませんが、言わない事、言う必要の無いことは結構あったりしますけどね。例えば私が超がつくほどのオタだったり。え? そんな事はもう分かってる? 参ったなぁ〜(汗)
ではまた〜。