社会コラム 山口県光市母子殺害事件

さて、今回の事で思うことは一番誰が悪いか、と言う事だ。勿論、未成年の奴が悪い事は悪い。しかし、それを悪い事は悪い事と教えなかったのは誰であろうか。当然の如く、親もしくは保護者だ。聞けば奴の母親は既に他界しているそうだ。自殺、らしい。しかし何故自殺したか。
父親が最近報道番組でインタビューを受けている。


「こいつのせいで、祖母はショック死、弟は失踪。家族ばらばら」
「母親の自殺は事件には関係ない。普通そういう目にあった子は非行に走るが
あいつ(息子)にはそういう傾向はなかった」
「被害者への謝罪はしてない。刺激したらいかんと思って。
謝罪する機会は作ればあったけど私は作らなかった。」
「責任はあいつが取るべきだ。私は昔からそういう主義だ」


ほほう・・・頭の中でぶちっと来たね。このインタビューは最近の事だ。
そして、今も頑張っている被害者遺族の本村さんが事件発覚後、当時犯人の家を訪れたらしい。


犯人の家を訪れ、犯人の父親に抗議したが、謝罪を受けるどころか、「淋しいなら再婚しろよ」などと愚弄された。その後今に至るまで一切謝罪も賠償もないという。なお、この男は後に「本村が犯罪被害者の会を作るなら、こっちは犯罪加害者の会を作って対抗してやる」とマスコミに嘯いたそうであるが、事実かどうかは定かではない。 』


後半の部分は定かではないが、この父親なら言いそうなことだと思う。少年法があるからこっちは法が守ってくれるんだ、的なことを考えていたのかもしれない。後半の部分があろうと無かろうと、全く罪の意識を感じていないのは明白だ。この男の放任主義は責任放棄、なのだ。
この子にして親ありなんて物じゃない。全ての発端、元凶、責任はこの父親にこそあるのだと実感せざるを得ない。これは獄中の奴の手紙にも顕われている。
犬が可愛い犬と出会ってやった、との虫唾が走る事や、自分が行った重大な罪を全く意識させない手紙。犬だって好きで発情期になるわけではない。種族の保存を本能とされているから年に二回ほど発情期になり雄犬と交配するのだ。別に快楽が目的で交尾するわけではない。しかし、奴は自分を犬と喩えた。種族保存の目的など欠片もない奴は犬以下と思わざるをえない。大体犬に失礼だ。
他にも罪の意識を感じない非道な精神や、少年なのだから何をやっても許されると言う打算と妙な賢さ。自分のことしか考えない奴に、更正など到底不可能だろう。

ならば、このバケモノを世に出したのは誰か。この外道を野に放ったのは誰か。育った生活環境などもあるとは思うが、やはりそれは保護者の責任だ。しかし奴の父親は何一つ謝罪しない。むしろ自分の肯定までする始末だ。父親は妻の自殺はこの事件に関係ないと言っているが、それは到底信じる事は出来ない。仮に妻が責任を重くとって自殺したとしても、その心境にはある程度納得がいく。方法はかなり間違いではあるが。それとも夫に息子のしでかした事を償おうと言っても全く相手にされなかったのだろうか。それならもう何も出来ないから死ぬしか無いと思っても不思議ではない。無論、真実は闇の中だが。

どうして少年法に、保護者に対する責任や刑罰が無いのだろうかと不思議に思う。現行法で無期懲役など、無期ではない。このような潜在的な犯罪者が公道を闊歩していると考えると非常に恐怖感を覚える。
そして、野に放たれた外道はまた第二の罪を重ねるだろう。自分で言っている(奴の手紙にも書いてある)のだから間違いない。未来ある少年の為に作られた法律だが、身体が成熟し、普通の大人と大差ないことが出来る。最早大人と子供の垣根はその根底の精神の違いくらいであろう。せめて15歳位までに引き下げすれば良いのでは?
いや、精神が未成熟なのは別に子供に限った事ではない。奴の父親にしてもそうだ。55歳と言えば立派な大人だ。しかし、彼奴も精神が未成熟故に子供に対しての教育と言うものを全くしていないと言えるだろう。教育と言うのは少し違うか。道徳、倫理、常識と言ったものか。彼奴自身にそういったものが欠如しているのだから仕方ない、では済まされない。罪を犯していないのだからその重責から逃れられるというのは何か間違っている。


この前の判決で差し戻しになり、奴の死刑の可能性が強く出てきた。死刑になれば少しは本村さんの気持ちが安らぐだろうか?いや休まらない。彼奴に対しても何か罪を背負わさなければ敵討ちには程遠い。
息子が死刑になれば彼奴はどうなるか。奴が死ねばその事件自体が風化し、人々から忘れられて噂も目減りするだろう。人の噂は75日。犯罪者の父親というレッテルは実は一生ではない。そういった風聞にも寿命があり、人々はもっと新しい情報を吸収するためにそのこと自体を忘れていく。甚だ納得できない事が多々あるが、これも世の常なのか。


あなたが被害者の遺族になったらどうするだろうか? 本村さんも言っていた。自分で殺すと。武士時代の仇討ちは賞賛されることが多かった。仇討ちをしなければ家督を継ぐことを許されないという事実まであるのだ。本村さんがテレビの前で言った事を人々はどう受け取っただろうか。ちょっと・・・それは野蛮じゃないかな、なんて思ったかもしれない。しかし、彼は間違った事は言ってはいないと思う。
では私ならどうするか。はっきり言って人には任せられないが、こんな外道を殺して何になるか。因果応報を遂げるにはどうするか。ああ、ならこうしよう。
奴が出所したら即行で拉致って目と声帯を潰し手足を潰し勿論性器も潰して半生半死。その後父親に半ば生きている奴を突っ返して自首しよう。その後自分にこんな運命を押し付けた神様にちょっとだけ恨み言を言って罪を償おう。残虐だろうか?しかし、こうでもしなければ彼奴は反省しない。一生息子の世話をして生き続けてもらわなければならない、と思う。その時に息子殺して犯罪者になるのも、自殺するのもAs you like it!!


さて、今日はちょっと憤りをぶつけてみました。自分にもこんな残虐なところがあるかとちょっと驚き。でも納得いかないこともまだあったり。弁護士の馬鹿な供述もそうだが、死刑の可能性が強まったから今更反省など、全くと言っていいほど調子のいいことだ。調子付いてるのはどっちなのか? 
もし、自分が押入れで家族の死体を見つけたら、と考えると何度もぞっとします。人には確かに心の底で残虐なものを秘めています。人間の歴史にはその残虐性で様々な争いや犯罪が起こっています。人の宿命とも言えるかもしれません。
しかし、心に必ず一つの誓いのようなものを持っていれば、そんな心の暗部は払拭する事が出来る、と私は信じたい。正義とか道徳とかちゃちなものじゃなく、ちょっと言葉では言い表せないのですが、例えるなら一番星。暗い夜空の中で一際輝く一番星は古来から人の道標にもなりました。道標になるほどの大人物になるというわけではありません。暗い夜空にも染まらぬ強い輝きになる、そんな誓いを持って生きていきたいと思っているのです。
あなたはどんな誓いを胸に秘めていますか?