2D!2D!or NOT 2D!

左の人!武器のはめ方間違ってるよ!

今日は格闘ゲームや漫画を入り交えて色々話をしますよ。
1984年にファミリーコンピューターアーバンチャンピオンというゲームがあった。これは右側と左側に分かれたキャラクターを別々の人が操り画面の端に追い詰めて倒すというゲームだ。パイオニア的発想だったろう。しかし、ここではまだ格闘ゲームという単語は出ない。1987年になるとカプコンというゲーム会社からストリートファイターがゲームセンターで発表される。どデカイボタンを叩く強弱で相手のダメージが決まるというゲームセンター経営者にとっては嬉しくない仕様だった。力の強い人が叩き続ければ壊れるし、一般のゲームからしてみれば磨耗する部品の寿命が短いからだ。この時点でもまだ格闘ゲームという単語はゲームプレーヤー達に浸透していかなかった。1991年に正統なる続編、ストリートファイターⅡが出てようやくブームになる。前回の攻撃の強弱は六つのボタンに分けられ、プレーヤーと経営者の負担を大幅に軽減させた。六つもボタンがあるから、技の幅も格段に広くなっていった。当初は一つのモニターで二つのコントローラーと、かなりぎゅうぎゅう詰めでプレイしていたものだが、後に確実に売れると分かった経営者は豪華に二つの機械(筐体という)を通信ケーブルで繋ぎ、片方が負ければすぐに交代すると言った回転数を上げに掛かる。見知らぬ他人同士が同時にゲームをプレイするという事は初めてのことではなかっただろうか。(もしあったらごめん。コメントに書いてくれ(笑)
さて、このように対戦格闘ゲームは様々な作品が生まれ、飽きられ、また新しいもの(大体前作の続編や欠点を改修したもの)が生まれる、という感じで以前は不良の溜まり場というイメージが強かったゲームセンターがアミューズメントスポットという風に名称を変えていくきっかけを作った。しかし、時代が流れるに従ってプレーヤーはリアリティを追及していくようになる。そして2Dゲームには始めに作った製作者すらも気づかない、リアリティの矛盾があるのだ。
写真を見てみよう。同じ格闘ゲームキャラが二人向かい合っている。大体一人でプレイするときは左側である。これを1P、右側を2Pと呼ぶ。さて右手にでっかい籠手を付けていますね。しかし、右側の人は左手に籠手を付けている。さてはて、格闘ゲームをしない普通の人は、これは同一人物ではない偽者か?と首を傾げるだろう。しかしこの二人の位置が互い違いになれば今度は1Pが籠手を左手に、2Pはその逆と言う感じになる。これは2Dの大きな弱点だ。
大体この手のキャラを作るには色々なポージングを絵で書き起こす。アニメーションのように。そして大概その絵は右向きだ。左向きを作る必要が無いのだ。なぜなら2Dゲームは二次元、モニターの平面しか存在しないから、立体的な絵を使うと言う事をしない。だから右側の人は左側の人を鏡で写したような絵になるのだ。これは対戦相手を中心にして常に正対でなければならないし、反対側に回った時、平面の絵故に反転現象が起こる。なら左向きの絵を作れば良いのでは?と思ったが、そうなるとキャラの容量が大幅に激増してしまう(左向きのアニメパターンを作らなければならないから、実質二倍)ので、どの会社もその欠点を補おうとはしなかった。登場キャラが減ってしまうのは大きな痛手だからだ。そして右手の籠手の人は右側に回ったら左手に付け替えるのだとプレイヤーは脳内で補う事にした。いや、対戦に熱中していてそんなことに気づく人はほとんどいなかったかもしれない。むしろ、登場キャラクターを作る製作者サイドはシンメトリーのキャラばかりを登場させることでこの欠点を補った。画面の片腕が籠手というキャラは実はそういないレアなキャラクターなのだ。他にも鉤爪とか、グローブとか色々いたが、あまり気にはならなかった。だって付け替えればいいんだもん。でも隻腕義手はそうはいかないでしょ?(笑)あ、そういえば隻眼って言う人もいたな。でも、キャラが小さいので余り気にはならない。なら身体に字が書かれているキャラは・・・!?滅って背中に書かれる人はいるけど、アレは勝利ポーズだもんね。動いてる時じゃないし。中とか申とか由とか、限られた字しか使えないな。うん、猿っぽい格闘キャラならアリだ。龍虎の拳のリーがそうだったような・・・(笑)
で、こういった欠点を補った次世代の作品が生まれることになる。ポリゴンゲーム、所謂3Dゲームの台頭だ。バーチャファイター(1993年)と言う作品がそれ。ポリゴンと言うのは実は自分も良く分からないのだが、簡単に言えば画面の中で奥行きの広い空間を造り、そこで立体的な四角形を浮かばせたり回したり形を変えたりする技術だ。これを応用する事で、四角形を極限まで丸くしていったり、人型を作っていったりする。尚且つ、自由に動かして対戦させるところまで進化させる。画面の中で対戦しているキャラクター達は実際に殴り合っているような迫力を生むのだ。更に、2Dゲームと違っていちいちアニメーションを書き起こす必要も無い。始めに素立ちのキャラクターを作って、後は色々な動かし方のパターンを作ればいいだけだ。先程の2Dの矛盾も克服できる。実に簡単(勿論色々な苦労はあると思うが)だと思ったものだ。手抜きじゃん!と思うほどに。
ここで漫画と言う媒体に移ってみよう。前回のヤマテックなどと言った作品は、作者が様々な視点からパワードスーツを見極め、アクションさせる。この作業、実は2D格闘ゲームを作る作業の比ではない。360度上から下から斜めから、装甲やボディの角度を変えなければならない。よほどメカを書き慣れない人でなければ出来ない芸当だろう。だから漫画でメカを描くというのは、ある意味センスと、いかにそのメカを多く描いたかという技量に基づいて行われる作業なのだ。
昨今は、漫画ではどうか知らないが、アニメでは(ロボットに限ってだが)3Dがバリバリ使われている。あまり良い事ではないと思う。2D世代の私にとっては非常に見づらい。3D技術は確かに革新的な技術だが、立体的な構図を描くことを無駄な努力にさせた、ある意味人を退化させる技術なのではないかと思った。セル画や絵を書き起こして作っていた何年か前のロボットアニメは、時にはパースが狂っていたり、デッサンが微妙に崩れたりしているアクションシーンがある。だが、当時はそれ自体が迫力にもなっていたのだ。しかしそれが徐々に根絶されていく。3Dによってある一定の知識があれば誰でもロボットアクションを製作出来るというのは確かにすばらしいことだが、職人芸という、現代人に一番欠けている技能が無くなっていくのではないだろうかと常々危惧する。現在放映中のガイキングは従来の技法で制作されているので非常に見易い。3Dになったガイキングなど見たくは無いもんだね。
エクシードチャージはガイキングと、職人芸ができる人を応援します(笑)