仮面ライダー555を視聴

蛍じゃないんだってさ

auショップでは一週間位かかると言うのは多く見積った故でしょうか。兎に角仕事の早いauのおかげで携帯が修理から帰ってきましたエクシです。新品同様になっているので至極幸せです。一杯写真撮るぞう。
555とはゴーゴーゴーと呼ぶのではなく、ファイブの複数形という事でファイズと読みます。さて賛否両論のあるこの作品。取り敢えずエクシは555のスタイリッシュなデザインとか設定とかが大好きですが、ドラマとしては大嫌いな部類に入る作品と言えるでしょう。しかし、このドラマ作りが微妙に人気を醸し出し、現在でも555人気が衰えていないと言う現状だったり。


レンタルショップファレノにて10巻まで(11巻貸し出し中だったんよ)借りて、バトルコレクション(変身からバトル中の映像を収めたDVD独自の映像特典)を見てみました。バトルコレクションだけよ? 見るのは。ドラマパートはエクシにとって至極どうでもいいのです。見ていて虫唾が走る、進行が遅い、分かりにくい。平成仮面ライダー中かなりの混沌作品と言えるでしょう。
何故このような事が起こるのかと言えば要するに作品の原作者という者がいない状況だからと言えるでしょう。原作者は石森先生。すでに亡くなっているので名義上原作に名前が挙がっていますが、結局のところ話の進行を考えるのは脚本家。特撮界の混沌を醸し出す、脚本家井上敏樹その人のせいです。
さて、井上敏樹とはどんな人となりか。一言で言えば豪放でそれでいて繊細。口癖は「面白ければなんでもいーんだよ」って人です。たまに名作の脚本を書く事がありますが、555に至っては全編脚本を担当し、様々な物議を醸し出させた人。基本的に完全無欠のヒーロー像という物に懐疑的で、トラウマを抱えていたり打算的な言動をするキャラクターを好む傾向があります。それを総じて井上キャラと呼称し、良く言えば悲劇的な運命を抱え葛藤する者、悪く言えばどうしようもない性格の捻くれ者の事を指します。特に作品中に登場する草加雅人と言うキャラクターはそれの最たる者です。と、その前にさらっとこの「仮面ライダー555」についての説明を。


人類の進化形であるオルフェノクは複合型企業のスマートブレインを創設。進化した人類が世界を創造すべきという信念の元に旧人類の廃絶を試みる。自らのエネルギーを旧人類である人間に注入、オルフェノクとして覚醒すれば仲間として迎え入れ、そうでなければ灰化して消滅されてしまう。そしてオルフェノクとして覚醒する確率はかなり低く、オルフェノクの上層部はこの振るいを大々的に行なおうと日夜画策していた。
主人公の乾巧はバイク旅行中に園田真理と出会い、真理を付け狙うオルフェノクに襲われる事となるが、真理の持っていた555ベルトで変身、仮面ライダー555となってオルフェノクを撃退する。当初は闘争に巻き込まれるのを嫌っていたが、真理や他の人間の夢を守ると言う決意に目覚め、人間を襲うオルフェノクに対抗していく。しかし、巧自身にもある運命があり、物語中に謎は紐解かれていく。旧人類とオルフェノクの闘争は果たして終わりを迎える事があるのだろうか?


ってな感じ。大分脚色してます。主人公がそれ程の覚悟を持っていたりいなかったり。どいつもこいつも勝手な言動が多いんだもん、この作品。
さて、要するに旧人類と新人類の戦いで、主人公達人間側は良くも悪くもその尊厳を守って生きたいと思っていますが、人一人一人には事情があり、その事情で皆が行動するので全員が一致団結すると言う事が正直余りありませんでした。
仮面ライダーになれる人間は限られており、オルフェノクに覚醒した者、もしくは覚醒しつつある者、またはオルフェノクの因子を人工的に植えつけられた者しか装着できません。従来のライダーは改造人間である為、例えばストロンガーはストロンガーにしかなれません。しかし、今回のライダーは装着タイプのベルトで、資格があれば誰でも変身できる。しかもこの特殊なベルトは三本あり、ファイズ・カイザ・デルタの三ライダーが存在します。つまりベルトを交換すれば資格ある者は誰でもこの三ライダーになれるというわけです。オルフェノクに唯一対抗できる戦闘強化服。この三本のベルトを巡ってオルフェノクと人間の闘争がこの作品の肝と言えるでしょう。ベルトを奪われオルフェノクが装着したり、互いの意志が通じず味方同士で戦ったり、時には主人公がオルフェノク側についたりと、様々な混沌ぶりを醸し出させたのは敵側でもベルトを装着出来るというこの設定にも起因するでしょう。ヒーローの格好をした者が敵になる。子供が見るべき番組はすでに誰が良い者で誰が悪い者なのか分からなくなっていきます。
そんな中でもオルフェノクとして覚醒した者でも人間として生きたいと思う人間もいます。主人公の巧と、もう一人の主人公、オルフェノクでもある木場勇治は人間として生きたいと願っていながら、二人は勘違いから対決することが多々ありました。誤解が解けた後でも草加が巧と木場が結託する事を邪魔したりして、誰が味方か誰が敵かが明確に判らなくなるのがこの作品の悪いところ。
そしてそういった脚本を書くのが大好きな人間が井上敏樹だったりします。彼曰く「面白ければ何でもいいじゃん」と前述しましたが、この何でもいいと言うのは特撮のヒーロー像を完全に覆してもいいという意味です。特撮と言う題材で、アンチヒーローを描くと言う矛盾がどうして思いつけるのでしょう。おかげで正義のヒーローであるライダー同士が終始対決し、ベルト装着者が何度も変わったりして更に混乱を呼ぶ。確かにライダー同士の対決は話題を呼びます。ガンダムだってそれ同士で対決したら人気出るんだし。でもその様な慣例は作品全体の印象を悪くする、混乱を助長させるとエクシは思えるのです。特撮作品としてなら尚更。
更にこの井上という人は出された題材を全く無視する事が多く、せっかく出たファイズの新しい武器やアイテム等を活かせぬまま終わってしまう事もありました。と言うか活かす事がかなり下手糞なんだと思われます。おかげでファイズが弱くて弱くてしょうがない(笑)
実際に三ライダーの中でファイズは最弱と言う設定で、アイテムでバージョンアップしなければ他のライダーや強敵のオルフェノクには対抗出来ないと言う欠点があります。でも主人公が勝つ事を良しとしない井上脚本のせいで出来た後付け設定だとも言われてもいます(笑)因みにコレがアイテム群。

バトルシーンはスタイリッシュでメカニカルなスーツが各所に光る電飾(夜限定(笑)で決める格闘シーンが印象的。変身アイテム等は子供でも持てる携帯電話型で、必殺技を決める際にはデジタルカメラをナックルにしてライダーパンチを決めたり、双眼鏡を足に付けて特殊なビームで相手を絡め止めライダーキック放ったりします。そういったデザインセンスはとても好感が持てますが、デジカメや双眼鏡などと言ったアイテムがそれ本来の用途として使われた事が一つとして無いのが井上脚本クォリティ。要するに独自の心理描写に手一杯で他に気が回らなくなっているわけですね。今一つ仕事の内容と言う物が解っていない人だと言えるでしょう。
しかし、近年におけるライダー人気の立役者としてはかなりの人物と言える状況で、正直王道を行っているリュウケンドーと言う特撮番組は安心して見れるけどその分余り話題を呼ばない。勧善懲悪と言う作品性が今現在それ程求められていないと言えるかも知れません。そういう方面はレンジャー物に任しておけばいい、とも言えるんでしょうね。
良いも悪いも人々にコアな人気を呼んだ「仮面ライダー555」は見ていた人に多大な影響を及ぼしたと言えます。こんな番組見てヒーロー像を間違って捉える人が大人になったらどうするんだろう? 長年特撮番組を見てきた自分にとって、ヒーロー像と言う物を馬鹿にしてるそぶりは正直かなり腹が立つし汚された気がする。ドラマやるなら昼ドラとかやればいいのに。色んな意味でまた物議を醸し出させると思うよ? つかそれしかコイツの行くべき道が見当たらない。やったらマジで一番になれるかもしれないのにね。
まあ兎に角、響鬼の例もあるように、もう特撮やるなよ、井上。
後さぁ………

終盤までファイズドライバーが下に傾いてたよ。こういう所も何だか粗いよ仕事が。まあこれは井上のせいじゃないだろうが。
それではまた〜。