いじめの増……加?

いじめかっこ悪いとは言わないお?

今日はいじめについて考えちゃうエクシだよ。
さていじめとは何でしょう? エクシは極めて排他的な考えからその対象を廃絶する思考だと思います。他を排すると言うことは自分以外、もしくは自分の仲間以外を全て認めないという思考とも考えられます。
他というのは、例えば背の低さや容姿、勉強の修得の遅さ、その人間の生い立ち。果てはいつも強がって粋がっている者も当てはまると言えます。
つまり普通とは違う者がいじめの対象に当てはまるのです。人には誰しも個性的な面があります。しかし、精神薄弱(勿論全ての人間が薄弱とは言いませんが)な思考回路を持つ十代という世代は、自分と全く違う存在を認める事をしたくない傾向があります。勿論これは現代社会や働いて生計を立てる大人の社会でも言える事ですが、十代の世代とは思考回路が微妙に違うので、認めない・廃絶するという攻撃的とも言える行動を取ることはめったに無いと思われます。気に入らなければ無視すればいいんでしょうし。
つまりいじめとは、精神薄弱な人間が個を認めない、攻撃する、ある種運動の様な物だと言えます。


さて、こういった現象とも言えるべき状態は誰しも見て見ぬ振りを決め込むのが必定。昔は校舎の裏に呼び出して殴る蹴るとかあったけど、今は違うんですよね。何? メールでとてもショックな内容を書いていじめられっこに送る?とか? うーんそれっていじめなの? でも当人はそれに多大な精神的なショックを受けたからいじめなんでしょうね。更に言えばメールアドレスなんて言うものは信頼した人に教えるもの。だれが一体!?って感じでちょっと自分でもうろたえるかも。
でもそういう人間は無視すればいいんです。しかし、こういった精神的な苦痛を伴ういじめははっきり言って見つからないでしょう。前述した通り、自分の世代ではかなり露骨でした。それこそ校舎の裏に呼び出し殴る蹴るは勿論、チョークを投げてきたり、食べる前の弁当に唾を吐きかけたり。でもそう言った行動はかなり小規模で、せいぜい三・四人位のグループがこぞって一人を集中攻撃する感じでしたね。
被害者が歯向かったり、反撃したりした時にはその集中攻撃をピタリと止める。これも面白い現象でした。つまり、いじめっ子とは反撃しない、無抵抗な人間を相手にするのが快感だからいじめるのです。その対象が歯向かってきたら快感のお遊びが遊びではなくなってしまう。私もさすがに我慢の限界に来た時、その二人と「屋上で喧嘩するぞ」と言い放った時、彼らは逃げてしまった。最初は応じた癖にね。
その時、私には勇気というよりも殺意が確かにありました。相手が二人掛かりでも隙をつけば一人位道連れに出来るかも知れないと。それ位の覚悟で殺ってやるって感じで挑みました。でもそれでは彼らにとっての遊びが遊びではなくなり、リスクを負う事になる。だから彼らは逃げてしまったのです。
つまり、いじめの構造は如何にリスクを負うことなく遊びが出来るか。リスクを負うことなくストレス発散が出来るか、なのです。対象の気持ちなど知った事ではなく、ある意味一方的な接点と言えるでしょう。
タイトルでも「いじめの増加」と書きましたが、いじめの認識が世間一般的な知識では分かりにくい、判別しにくい為表面に出ないだけで、別に増えても減ってもいないと思われます。陰湿的で手間のかからないいじめは確かに増えているかも知れませんが、古来から人を攻撃すると言う行為は無くなりません。増加等と言っているマスコミは少し認識が甘い、もしくはサブタイ考えた人はちょっといじめについて勉強し直してこいって感じ。
さてこの事を踏まえて今日は日記を閉じようと思います。次回はいじめの対策について。まあ気楽にお付き合いください。無理か(笑)
それではまた〜。